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【弁護士が解説】トランスジェンダーの従業員のトイレ使用に関する判決を解説

公開日時:2023.09.01

本稿では人事・労務ほか法律相談や紛争案件を数多く手がける小國 隆輔弁護士に、トランスジェンダーにまつわる裁判例を解説いただきます。        経済産業省に勤務するトランスジェンダーの職員(以下、「当該職員」といいます。)のトイレ使用について、令和5年7月11日に最高裁の判決(以下、「本判決」といいます。)が言い渡されました。 本判決は大きく報道されたのですが、正確に理解するのが難しい判決でもあります。本稿では、最高裁判決の読み方の基礎知識を踏まえて、本判決について解説します。
小國 隆輔 氏

小國 隆輔 氏

弁護士、同志社大学法科大学院客員教授。同志社大学大学院法学研究科私法学専攻(博士前期課程)修了、同志社大学大学院司法研究科法務専攻(専門職学位課程)修了。2008 年弁護士登録。2018 年1 月、大阪市北区に小國法律事務所を開設し、人事・労務を中心に、企業法務・学校法務を手がけている。公職として、学校法人金蘭会学園非常勤監事、寝屋川市空き家等・老朽危険建築物等対策協議会委員、池田市職員分限懲戒等調査委員会委員等。著書として、『実務者のための人事・労務書式集』『Q&A私学のための働き方改革』『新型コロナの学校法務』ほか多数。

HP:弁護士法人 小國法律事務所

トランスジェンダーとは

まず、トランスジェンダーの定義について確認しておきましょう。

トランスジェンダー(Transgender)とは、生物学的な性別と性自認が異なる人を指します。法令では「性同一性障害」と表記されていますが、人事・労務の実務では、一般的にトランスジェンダーと呼んでいます。

トランスジェンダーのうち、生物学的な性別が男性で性自認が女性である人を“M t F”(Male to Female:エムティーエフ)、生物学的な性別が女性で性自認が男性である人を“F t M”(Female to Male:エフティーエム)と呼ぶことがあります。

トランスジェンダーであることを職場等で開示(カミングアウト)する人が増えつつあり、人事・労務の担当者としては、どのような配慮をすべきかについて悩むことも増えてきています。

最高裁判決の読み方―法理判決と事例判決

次に、最高裁判決を読むときに知っておきたい基礎知識を紹介します。

最高裁判決には、「法理判決」「事例判決」があるといわれています。
「法理判決」とは、その裁判の具体的事案だけでなく、類似の事案についても通用する一般的なルール(規範)を示す内容の判決です。

最近の労働法関係の最高裁判決で法理判決に当たるものとして、いわゆる同一労働・同一賃金に関する、ハマキョウレックス事件最高裁判決が挙げられます(最高裁平成30年6月1日判決・民集72巻2号88頁)。
同一労働・同一賃金についていくつかの規範を示した判決なのですが、例えば、次の判示は、労働契約法20条(現在のパート有期法8条)が問題となる事案に共通のルールを示しています。

「同条は、有期契約労働者について無期契約労働者との職務の内容等の違いに応じた均衡のとれた処遇を求める規定であり、文言上も、両者の労働条件の相違が同条に違反する場合に、当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなる旨を定めていない。

そうすると、有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が同条に違反する場合であっても、同条の効力により当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなるものではないと解するのが相当である。」

ハマキョウレックス事件最高裁判決によって、有期契約労働者の労働条件が労働契約法20条(現在のパート有期法8条)に違反する場合でも正社員と同じ労働条件になることはないという点は、同条が問題となる全ての事案に共通するルールとして確立しました。

「事例判決」とは、その裁判で問題となっている事実関係を前提にした判断であり、類似の事案に共通するルールを示さない判決を指します。
つまり、全く同じ事案の訴訟があれば同じ判断になるかもしれませんが、少しでも事実関係が異なればどんな判断になるかわからない、ということです。
法理判決と比べると、事例判決は、規範を示さないという点で判例としての価値は小さく見られがちです。もっとも、事例判決であっても、判決文の中でどのような事情が摘示されたのか、どのような事情が重視されたのかは、実務上参考になるものです。

前置きが長くなりましたが、本判決は「事例判決」に当たるので、当該職員が提起したこの訴訟に限った判断であり、トランスジェンダーとトイレの問題についての一般的なルールを示したものではありません。
本判決については、たくさんの方がいろいろなコメントをされていますが、本判決の位置づけを正確に理解する前提として、事例判決であることを理解しておく必要があります。

本判決のポイントと判決

では、前述の基礎知識をふまえて、本判決の前提となった事実関係のポイントを確認していきましょう。

ポイント1:原告の職員について

国に対して訴訟を提起した経済産業省の職員は、次のような方でした。

  • 生物学的な性別は男性で、戸籍上の性別も男性だが、性自認は女性である(M t F のトランスジェンダー)
  • 性同一性障害である旨の医師の診断を受けているが、健康上の理由から性別適合手術を受けていない
  • 性別適合手術を受けていないため、戸籍上の性別を変更することができない
  • 女性ホルモンの投与を受けており、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断を受けている
  • 私生活でも職場でも、女性として生活している

ポイント2:経済産業省及び人事院のとった措置について

経済産業省及び人事院がとった措置の概要は、次のとおりです。

  • 当該職員の了承を得て、同じ部署の職員に対し、当該職員の性同一性障害について説明会を開いた
  • 所属する部署から2階以上離れた女性用トイレの使用を認める(同じ階と隣の階の女性用トイレの使用はできない)

※最高裁判決では触れられていませんが、控訴審判決からは、女子更衣室及び女子休憩室の使用を認められていたことがうかがわれます。

ポイント3:その他の事情について

ポイント2の措置について、本判決では次のような事情も指摘されています。

  • 上記の説明会で、説明会を担当した職員には、数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたものの、明確に異を唱える職員はいなかった
  • 当該職員は、2階以上離れた女性用トイレの使用を4年以上続けたが、トラブルが生じたことはなかった

最高裁は、こういった事情を丁寧に確認したうえで、2階以上離れた女性用トイレの使用しか認めない措置は、「本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。」として、違法と判断しました。

繰り返しになりますが、本判決は「事例判決」であり、トランスジェンダーの職員とトイレ使用の関係について、何らかのルールを示したものではありません。上記のような事情がある場合には、2階以上離れた女性用トイレの使用しか認めない措置は違法だとしただけであり、この事案限りの判断です。

例えば、次のように本判決と異なる事情があったらどんな判断になるのか、疑問が湧くかもしれません。

  • 官庁ではなく民間企業だったらどうなのか
  • 性別適合手術を受けられる健康状態だが自分の意思で受けていない場合はどうなのか
  • 女性ホルモンの投与を受けていなかったらどうなのか
  • 女性用トイレの使用に明確に異を唱える女性職員がいたらどうなのか
  • F t M のトランスジェンダーだったらどうなのか
  • 職場のトイレではなく公共のトイレだったらどうなのか

しかし、これらの疑問への答えを、本判決から導き出すことはできません。

本判決の補足意見においても、「トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない。この問題は、機会を改めて議論されるべきである。」とされています。

上司の発言

最高裁判決では言及されていませんが、本判決の第一審と控訴審では、職場の上司の発言も違法とされ、慰謝料請求が認容されています。

所属部署の上司が、当該職員との面談を何度か行い、性別適合手術を受けていない理由の確認などを行っていました。その面談のなかで、上司から「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか」という発言がありました。

第一審及び控訴審の判決は、このような発言は当該職員の性自認を正面から否定するものであり、個人がその自認する性別に即した社会生活を送ることができることの法的利益としての重要性に鑑みれば、法的に許容される限度を超えたものであるとして、慰謝料の対象になると判断しました。控訴審判決が国に支払いを命じた金額は11万円と少額ですが、トランスジェンダーに対する無理解な発言は、法的に違法であることを明示したものといえます。

残念ながら、トランスジェンダーに対する理解が不十分な職場や管理職は、現在でも珍しくありません。間違っても、このような無理解な発言がされることがないようにしたいところです。

まとめ: 本判決はあくまで参考。人事・労務の実務は柔軟な発想での対応が必要

事例判決とはいえ、本判決が指摘した事情は、トランスジェンダーの従業員の性自認に合わせたトイレ使用等の希望への対応を検討する際に、参考にすべきものです。もし、M t F のトランスジェンダーである従業員から女性用トイレを使用したいという要望があった場合には、他の女性従業員の意向を確認するために、本人の了承を得たうえで、職場内で説明会や意見交換を実施することが考えられます。反対意見を明確に述べる従業員がいた場合には、その意見を尊重しつつも、トランスジェンダーへの理解を深めるための職場研修などを検討すべきでしょう。

また、所属部署から一定程度離れた場所の女性用トイレの使用を認めたうえで、トラブルがなければ、使用可能なトイレの範囲を拡大していくことも考えられます。
人事・労務の実務を行う際には、本判決があるから本人の希望通りにトイレの使用を認めなければならないという単純な思考ではなく、トランスジェンダーの従業員の意向、他の従業員への影響、設備管理に生じる支障の有無などを多面的に考慮して、妥当な解決策を柔軟に考えることが大切です。

なお、本判決の全文を、裁判所のウェブサイトで確認することができます(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/191/092191_hanrei.pdf)。本判決には裁判官5名全員の補足意見が付されており、補足意見の内容も、実務上参考になります。

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